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2012年2月7日火曜日

農村春節を体験して。


今日は春節を体験したことを書きます。




着いたときに、董強が迎えてくれて、3ヶ月ぶりぐらいの再会しました。



ちなみに昨日は春節の終わりで、元宵節。旧暦の15日に当たる日で、やっと爆竹が鳴り止みました。




日本にいた時は、春節と言ったら「爆竹やばい?」ぐらいの印象しかありませんでした。



でも、「やばい」を超えて「爆撃」の音ぐらいうるさいです。(爆撃されたことないけど)

旧正月は中国人の親友(董強)と言える友達の実家に誘われました。農村にあります。






農村の春節といえば、「にぎやか」で有名で、都市に住む中国人の友達みんなから羨ましがられるぐらいでした。 春節はみんな実家に帰って家族と過ごします。なので、旧正月前後の10日ぐらいはほとんどの店(ホテルは空いてる)が閉まって街は閑散としてます。僕がよく行く学校近くの食堂は2週間以上経つのにまだ閉まってます。(こんなやる気でまた客が来ると思ったら甘いでー) そして強く感じたのが、家族を大切にする価値観の違い。



学生は必ず実家に帰る(というより、寮の従業員も帰るから寮が閉まるから帰らざるをえない)。農村から出稼ぎで都市に来た農民工もほぼ帰る
。それもこれも家族に会うためです。



中国のyoutubeですごく印象に残ってる動画がありました。一人のいい歳した農民工のおじさんが、実家に帰る汽車のチケットを買えて大泣きしてる動画です。それぐらい実家に帰って家族に会うのが幸せなことなんです。

それと、異常なほど汽車のチケットを買うのが難しい。 春節の時の人の移動量は、世界一と言われています。



旧正月前20日間後20日間の40日間で30億回の移動が行われます。(一人何回も乗ることもある)

これは、「世界人口の半分」の数字です。。驚くべき„,



もちろん、汽車のチケットの競争も激しい。主に、ネット予約(今年から)、電話予約、カウンターで購入の3つ買い方がありますが、中国人の友達に助けてもらったにも関わらずダメでした。そのチケットが発売されると同時に、一気にアクセスが集中してネットも電話もつながらなくなるからです。。 仕方なく、最も危険と言われるバスのチケットを買いました。(友達が「あんな危険なの死んでも乗らない。毎日事故のニュース見るもん」って言ってました„笑) でもやっと買えてものすごく嬉しかったです。
おじさんがあんなに泣いた気持ちが少しわかりました。 そして、バスの一番前に乗って、車線変更バンバンしてるのを見てハラハラすること16時間、やっと無事に山東省の烟台に着きました。


そこで天津の大学に留学しているSFCの先輩(周平さん)と合流しました。 目的地の農村は街と街の間にあって、バス停がないので運転手さんに「ここで降ろして!」って言わないといけないところでした。



その地に立った時の第一印象は、「意外とイメージと近い」でした。土地が乾燥していて、車なんかもちろん走ってなくて、小さな家が立ち並んでました。




 家は予想よりもきれいでした。去年リフォームしたみたいです。壁はきれいに塗装されてて、キッチンも充実していて、ヒーターもついてました。そして一番重要なのが、「自然床暖房」







これは基本的に東北地方だとどこの家にもあるそうです。炭を燃やすところがあって、そこから出た熱気が家中を通るようになってます。これのおかげで、−10℃にも達する冬を温かく過ごすことができます。伝統的な生活の知恵だと思いました。

 食事は、肉や魚を使った料理が多く、豪華な家庭料理という感じがして、どれもおいしかったです。






お腹いっぱいになっても母さんが何回も「食べなさい!」って勧めてきて断るのに大変でした,笑こっちの人はとにかくなんでも勧めてくる。常に気にしてくれる。これが中国国内でも「農村の人は温かい」と言われる由縁なんだと思います。 そして度々言われたのは、「農村は衛生環境が悪いよねということ。






たしかにトイレは外にあって(もちろんボットン)、シャワーはない。というより、下水道インフラが整っていない。だから、水もバケツに貯めておいたところから暖めてから料理に使ったりしていました。 そして、大晦日の夜。餃子を作りました。北方では餃子、南方では甘い餅(トッポギみたいな)を食べると言われています。



母さんに「これじゃダメだわ」って何回も厳しく言われながら、最後は「これなら大丈夫だわ」的なことを言われるぐらいまでになりました。「餃子作り」この旅行で一番成長した部分だと思ってます。笑 

この時(7時頃)が爆竹、花火のピークでした。どこの方角を見ても、花火。空を見れば、日本でも見られないぐらいの星空。こんな風景は日本では絶対に見られないと思って感動してました。




 何個食べたかわからないってくらい餃子を食べた後、大晦日に誰もが見ると言われる春晚を見ました。日本で言う「紅白歌合戦」みたいなもので昔からある番組だけど、内容は歌から中国的踊り、マジックから雑技みたいなものまでたくさんあります。レベルはさすが中国、驚くべきものばかりでした。それと、やけに「家族」とか「家」をテーマにした歌が多かった。これを見て改めて「故郷に帰って来たんだな」と泣いた人がたくさんいたんだと思います。 翌日(旧暦1/1)の午前、家族と一緒に拜年(新年のあいさつ)に行きました。どんだけ親戚いるんだよって思うくらい親戚がいっぱいいて、どこにいってもお菓子とお茶とタバコを勧められました。

でも、そこでもらうのはあまり良くないらしく「いらない!」って断るのが風習みたいです。(最初は気づかず、「谢谢! 」って普通にもらってた)



 そして帰って来て、贴春联」といって、家の門に赤い紙にめでたい言葉を書いたものを貼るのを手伝いました。







有名な中国文化ですが、今ではこれがかなり薄れてると聞きました。都市に住む人でこれをやる人が少なく、やってもマンションのドアに一枚春だけで全然春联の感覚がないみたいです。  その後、標高500mぐらいの道なき山を遭難しそうになりながら登ったり、董強の小学校で訪問したり、楽しく過ごしました。



 今回初めての経験をたくさんして、農村への興味もより一層わきました。


「中国を理解するなら農村を理解しろ」という有名な言葉もあるくらいです。



日本でフォーカスされる中国の部分は上海や北京といった「発展」の部分が多く、農村の状況についてはあまり知られていません。13億人(統計上)の人口の約半分が農民です。もっとそっちの方を見ていきたいと思うばかりでした。 今回は農村で体験したことを重点をおいて書きましたが、次回は「農村について感じたこと」について書きます。 人生で初めて5日間シャワーに入らないで過ごした農村の春節は忘れられない思い出です!董強、ありがとう!!