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2013年2月26日火曜日

イメージの裏切りに出会いたい人にイランをオススメする3つの理由




僕は「海外にいつも行ってる人」イメージらしく、友人からよくこの質問を受ける。

「旅行行くならどこの国オススメする?」


大学3年間、バイトで貯めたお金はほぼ旅行に費やしてきて、15カ国に訪れた。数あるオススメの国の中で、僕はこの国をいつも選ぶ。


「イラン!」


すると、決まった反応される。


「え。イランって危なくないの!?」


それも当然。
「イラン」と聞いてネガティブなイメージが浮かばない人はいないと思う。


日本を含めた欧米諸国の敵にされ、アメリカには「悪の枢軸」と呼ばれる。
「核開発」に対する批判を世界から受けている。(「経済制裁」)
イスラエルと戦争しそう。


僕が少ない知識から持っていたイメージは以上の通り。
おそらく、僕の周りの人が持っているイメージもこれに近いものだと思う。


今回は、『なぜ“あえて”イランをオススメするか』理由を3つにまとめた。


1,イメージの裏切りに必ず出会える


僕は、短い人生の中で、“イメージとリアルのギャップ”を、良い意味でも悪い意味でもたくさん感じてきた。

アメリカの公立高校に1年間留学していた頃よく感じたのが、

「んーなんでマリファナ中毒みたいな高校生ばっかなのに、アメリカの教育ってすげぇって言われるんだ。。」


一昨年、中国に留学していた頃は、よく感じたのが、

「日本では中国人は反日反日って言うけど、全然そんなことないじゃん!」(※今は違うかもしれない)


行ってきた国々でそんな“サプライズ”という名の快感を得てきたんだと思う。


考えてみれば人って、日常的にそんなサプライズに刺激を受けてる。
例えばこんな話。

「Aさんってみんなの前だとすげぇ静かで目立たないけど、二人で飲むとこんなガツガツ系で毒吐く子なんだ!」

とか、最近のこと振り返っただけでもいっぱい例が出てくる。
そういう「え!?」とか「あれ!?」っていうサプライズが心地良い。

考えてみたら、海外行ってきた人が、
「実際に行ってみると人がすっごく優しくて、すっごくイメージ変わりました!!」とかってよくある話ですよね。

実はこの話もそういう話です。


でも、伝えたいのは、イランの“イメージと現実のギャップが激しさ”はハンパないってこと。

イランって怖いイメージありますよね。
人も怖いイメージありますよね。(「あごひげの長い革命家の顔が浮かんだ人は相当のイラン通」)

でも、、、実際はこんな感じ。



状況を説明すると、
修学旅行生の大群がいて、一人の男の子に“Japanese!???”って聞かれて、“Yeah!”って答えたら、“Picture! Picture!!”って周りにいた学生が一気に集まって来て囲まれた。一瞬の出来事で何が起きた分からなかった。。。

次にこの写真、、



すっかりムスリム風になった美里にストーカーのように付いてくる少女達。なぜかずっと遠くから笑いながら追いかけてくる。その子達がやっと心開いてくれて写真をを撮ってくれた。

イランにいた一週間、「写真撮ろう!」って何回言われたかわからない。
それほど東洋人が珍しいのだろう。一週間、東洋人を見なかったのはイランが初めてだった。

イラン人全く怖くない。むしろ、こんな人懐っこい人達初めて見た。


(地元のヤンキーにからまれるユーゴー)


(夜中の1時頃に友達の家族に招待されて、子供のダンスを観た後の集合写真)


(イランの家庭料理で歓迎される。地べたに料理を置いて食べるスタイルは新鮮)

体験した楽しい思い出は語りきれない。
とにかく、“一番優しくされた1週間”だったのは間違いない。




2,中東情勢、イスラム社会への距離が近くなる



中東情勢、大変なことになってます。

“アラブの春”と言われた数々の反政府デモ。
未だ解決の糸口が見つからないシリアの内戦。
最近、砲撃にまで発展したイスラエルとパレスチナの対立。


イスラム社会に触れて、中東の距離が近くなった。
「もっと知りたい」と感じ、新たなアンテナを張るようになった。

これからイスラム社会はどんどん台頭していく。

僕が40歳ぐらいになる2030年には、世界のイスラム人口は全人口の1/4を占めるそうです。


イスラムの価値観が今よりも普遍化して、イスラムへの理解が必須になる時代が来るかもしれない。
少なくとも、「イスラムって怖いよね」というネガティブイメージで思考停止すべきじゃない。

僕たちの世代は特にそれを意識しなければならないと思う。





3,すぐそこにある戦争によって消えてしまうかもしれない“素晴らしい名所”



現地を案内してくれたイラン人の友達がこんなこと呟いていた。

「もうすぐイスラエルと戦争になる。そうなったら、若い人は戦争に行かなければならない。こんなキレイな建築物も壊れてしまうかもしれない」
イラン研究をしている日本人も同じようなことを言っていた。


ところで、シルクロードと聞くと、「ウズベキスタン・サマルカンドのレギスタン広場」というイメージが強いと思う。



確かに、めちゃくちゃキレイ。
シルクロードって感じが漂う。
地球の歩き方にもツアーでも“シルクロードのシンボル”の扱いをされる。


でも、イランのエスファハーンにあるイマーム広場を見た旅人が、レギスタン広場を見ると

「あーこんなもんかー」と思うらしい。

実際比べてみると、違いは歴然。
僕もイマーム広場の方が“この建築やべぇ”って思った。


(スケールのデカさを写せなかったのが残念)

他にも、世界三大遺跡とされる“ヘルセポリス”がある。





美里のイチオシだったのが、シーラーズにある“マスジェデ・ナスィーロル・モルク”




ステンドグラスを通して絨毯に写る姿が言葉に表しようがないほどキレイ。
この光景は、太陽の入射度の関係で朝しか見れない。



僕の一押しは、砂漠の街ヤズドにある“沈黙の塔”



登るとこんな感じ。



穴ぽこを覗いてみると。



これは墓場です。
7世紀にイスラム教が入ってくる前にゾロアスター教という宗教がありました。
そのゾロアスター教徒の死体を葬る鳥葬の場でした。

鳥葬とは、鳥に死体を食べさせる死体処理の方法らしいです。(wikipediaに実際に死体が食われる前と食われた後の写真が載ってるので見たい方は是非)

ここはなんとも言えない神聖な空気が漂っていた。すごいよ、ほんと。

こんな素晴らしい建築物だったり、遺跡がイランにはたくさんある。(僕達が行けなかったのも多くあります)


アフガニスタンでの戦争では、バーミヤン遺跡が壊された。(タリバンによる破壊だったけど...)
シリア内戦でも12世紀から続く歴史的な商店街が壊された。


イランの名所も戦争によって、壊されてしまうかもしれない。

ものすごく悲しいことだけど、イラン人にとっては戦争が“リアル”に感じられるらしい。
5年後10年後、いつになるかわからないけど、本当におきてしまうかもしれない。

戦争なんて起きないのがベストだ。


だからこそ、多くの人にイランの素晴らしい部分を見て、イランを近くに感じてほしい。



以上が、イランをオススメする3つの理由です!



では、どうやって行くのか??


普通ではない例だけを紹介。(西→東のバックパッカーにはよくある話)

僕たちはトルコから入ってきた。
トルコの東側にあるトラブゾンという街にイラン大使館がある。
そこなら、60ユーロ払って、簡単な書類を書くだけで、約2時間でビザが降りる。

日本から直接行く場合は、よくわかりません。自分で調べてね。



このブログを見て、「イラン行きたい!!でもやっぱ不安!」って思った方、相談受けます。現地にいる友達も紹介します。



イメージの裏切りに出会ってきてください!!


最後にSFC生にサービス。




2013年1月1日火曜日

写真で振り返る2012年!


あけましておめでとうございます!

生まれてから22年間、僕にとって正月は特別なことをしない普通の一日でした。

おせち食べたことないし、年賀状も書いたことありません。家にテレビ置いてないから、紅白も見ません。

日本文化を知らないアウトサイダー!と思う人もいるかもしれませんが、そういう環境で育つとそんな感じになってしまうのです。

でも今年は、年明けてから夜中に突然友人から連絡が入り、初日の出を見に行くことになりました。
シンボルタワーで大勢の観客の前でサッカーした後、見た日の出はキレイだった。



普段しないようなことをするのも悪くはないなって正月に対する意識も変わってきた。

人間だから、年が変わったくらいで、大きく変われるわけではない。いつもやっていることを続けていくのみ。って考えてきたけど、

今年やってきたことを俯瞰して振り返ったり、今後の長期ビジョンを考える良い機会だと感じた。

普段忙しい日常の中にいると、これもしなきゃあれもしなきゃで、なかなか5年後10年後どうしようかって考えるの難しい。
でも、日常から離れて気持ちをリフレッシュすることによって、自然にポジティブに発想もできる。

オフの時に「しっかり楽しまなきゃ!」「休まなきゃ!」って線分けする必要はない。オフの時に、ゆったりオンの時のことを考えるのもアリなのかなと思いました。


ということで、2012年を振り返ろう。


1月


考えてみれば、去年の今頃は中国にいた。
日本語を使わない環境にすっかり慣れ親しんでたって思うとなんか不思議。

1/23は日本でいう旧正月にあたる春節でした(毎年異なります)。

中国最も盛り上がる時期。

鉄道のチケット売り場には長蛇の列が並び、一瞬でチケットが売り切れる。チケットを買えて感動して泣く人がいるくらい。

そして、世界最大の民族大移動が起こる。街からは人がいなくなり、いつもの賑やかさが静けさに変わる。鉄道を始めとした交通機関はカオスな状態になる。

僕は、董強という中国人の親友の家に5日間泊まらせてもらった。
初めての農村で過ごす5日間。

シャワーなしはさすがに辛かったけど、それも今では良い経験。
都市とは比べものにならないくらいの人の温かさに触れ、農村での春節を体験できた。

都市に住む中国人に春節の体験を話すと、みんなから必ず羨ましがられた。消えつつある春節の文化が、農村には残っている。
(詳しいエントリーはこちら。写真はこちら。)


2月


美里の誕生日祝うため、お忍び帰国。

「しばらく農村のフィールドワーク行ってて誕生日に連絡取れそうにない!ごめん!」と告げ、悲しませた後、

日本に超短期で帰国して、美里の親友に協力してもらい、京都で直接祝福できた。サプライズ成功したのは、美喜ちゃんのおかげ。ありがとう!

あの時のリアクションと嬉しそうな顔は記憶に残り続けると思う。笑



3月



「JChere日本商品直送」という大規模な日本商品の展覧会にフォーカスジャパンが出店しました。

販売員として手伝わせてもらい、3日間で約5000人以上の中国人に直接伝統工芸品を紹介しました。

中国人の消費者と直接対話して、得たものはかなり大きかったです。日本の伝統文化マニアは僕が思っていた以上にいるもので、逆に教えられる場面もありました。

日本の良さを再確認した良い機会でした。
(詳しいエントリーはこちら)


4月



徽杭古道という中国人でもなかなか知らないハイキングスポットへ中国人カップルと一緒に訪れた。

途中、違うグループの歩いてる人と話して突然仲良くなったり、宿で出会った人達と夜まで語ったり、見知らぬ中国人とも打ち解けることができた。

穴場スポットなので人が少なくて、キレイな景色ばかりの良い場所でした!オススメです。


5月



日本の伝統工芸家と中国の美術家の方々の交流展覧会『一衣帯水』が開かれた。

日本文化と中国文化の架け橋として力不足ながら通訳させてもらいました。


中国のド偉い方や富裕層と触れ合うなかなかない機会でした。中国式の宴会にも慣れた気がします。


6月



留学中の目標であった、HSK6級(中国語検定)も無事手に入れ、一年間の交換留学も終了しました。

他国の留学生の友人やしょっちゅう羊肉串片手にビール飲み交わしてた中国人の友人と別れて、すっかり慣れ親しんだ中国・杭州を離れ、中国人っぽさからも卒業。

最後に行きつけの近所の店で食べた「ニラタマラーメン」(韭菜鸡蛋手工面)の味が忘れられない。


7月



日本の生活に戻り、物価の高さに恐怖を感じる。
シルクロードの旅に行くことも決め、学校に行かずバイトしてお金を貯める日々。




8・9月



シルクロードの旅。

トルコから中国まで7カ国を45日間で駆け抜けた日々。
感想は一言で表せないけど、確実に人生の見方を変えてくれた旅だった。



10月



SFCに復帰。

なぜか俺の友達のほとんどが留学に行ってて、知らない人ばかり。
たまに会う人には「え、日本いたの!?」ってほぼ100%の確率で聞かれる。

加茂ゼミと国領ゼミに入り、刺激的な学びの日々を送る。


11月



平日は座学、休日はバイトの日々をひたすら続けた。




12月



新たな挑戦へ向けて始動。
来春から休学して東南アジアで行うプロジェクトを企画。
久々に自分の足で動き、一つのものを作る楽しさと厳しさを実感する日々。

東南アジアの可能性を若者に伝えられるように走りつづけます。


ざっくり以上です!






半年間中国に、約2ヶ月間はシルクロードのどこかに、約4ヶ月間は日本に。確実に、より広い世界を見てきた1年でした。


22歳の誕生日はイラン人の大豪邸で祝ってもらいました。23歳の誕生日はどこにいて、その時に何を得ているんだろうと考えるとワクワクが止まらない。


「佑豪」(You Go)という名前には、直訳すると「お前、行け!」という意味があります。

これからも突き進んでいくのみ。

そして、失敗したら頭を使ってやり直す

そうすれば必ず道は開ける。



今年も多くの人に頼っていきます!これからもよろしくお願いします!!