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2012年6月11日月曜日

中国に大学入試(高考)の悲劇。〜母の命より大学入試の方が重要〜





先日、中国では大学入試(高考)がおこなわれた。


年に一度しか実施されない高校3年生にとっては人生の一大事。


どれくらい大事かというと、


「母の命より大事」


だそうです。


この大学試験中に起こった悲劇をもとにネット上では、大学入試に関する激しい論争が繰り広げられています。


その中で最も読まれたブログがあります。
それを読んで、考えさせられることが色々あったので、紹介します。


初めて翻訳に挑戦しました。いたらない部分、中国人っぽい翻訳の部分は多々あると思いますが、許してください。
是非読んでいただきたいです。
ちなみに原文はこちら→http://blog.ifeng.com/article/18214639.html


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娘はなぜ母親が血を流す中、大学入試に行かなければならなかったのか?


 「母親が娘を大学入試試験会場に送る途中に事故に遭い、娘は涙を流しながら試験会場へ向かった」。これは、今年の高考の中での一つの悲劇であり、このような状況を目にした人は涙を流し、悲しみを感じただろう。
 
     67日午前810分。試験2日目。長沙(湖南省の省都)のある交差点で、入試に臨む娘を連れた母親に、1台の黒色の車が突っ込み、母親は10メートル程飛ばされ、血まみれになっていた。娘は母親を病院に連れていかなければならなかったが、警察と道にいた人達に慰められ、説得のもと、涙を浮かべながら試験に参加することを決め、パトカーに乗って試験会場へと向かった。
 
    この娘にとってこの運命は残酷すぎるものだ。この娘を超える悪運を持った者が他にいるだろうか。しかし、もっと痛みを感じるのは、この娘が母親が血を流す中試験会場に行かなければいけなかったことである。当然、この娘を責めることはできない。なぜなら、彼女は普通の試験会場に行くのではなく、戦場に行かなければならなかったからだ。「大学入試が人生を決める」という常識がある。母親が血を流す中、娘の耳にはこの言葉がまとわりついただろう。本当に現実はこのようなものなのだろうか。その通り、警察、道にいた人達が言っていたことも全て「人の命より、試験の方が重要」であった。
 
    私はこのような考えを持つ人に対して冷やかすことを言うつもりはない。娘の父親に対してもだ。母親は命の危険があるほどの酷い状態であった。しかし、父親はその事実を娘に伝えることはなかった。なぜなら、「事実を伝えることで、娘が実力を発揮できない」ことを恐れたからだ。大学入試の重要性から考えれば、父親の選択は娘を思ったものであり、悲しさを帯びたものでもある。しかし、このような父親の愛は既に人間性を失っていると言える。たとえ理性を持っていても、この大学入試からは逃れることはできない。大学入試は生命よりもっと重要なのである。
 
    どうしてこのようなおかしなことが起きるのであろう。先ほど述べたように、「普通の試験会場にではなく、戦場に行く」というのは彼女が経験しなければならないものであった。大学入試を戦争と捉えてみれば、事故の時、現場の人達の人間性がちっぽけなものに変わった原因が理解できるだろう。このような戦争の暗い煙の中、一人一人の感情や表情は見えにくいものになる。気が遠くなるほどの時間を試験勉強(12年間かけるとも言われる)にかけ、家族、先生、親友、社会までの助けに支えられた受験生は、戦争の兵士とも言える。兵士にとって母親が血を流す状況は残酷であるが、それは一種の戦争時代の日常なのかもしれない。
 
    もう一つ、重慶で起こった悲劇がある。これも試験一日目、父親が仕事の休みを取り、娘を試験会場に連れて行く途中で、「試験が終わったら迎えに行って、お前のために餃子包んでやる」と約束した。しかし、父親が食材を買いにいく途中、上から銅管が降ってきて父親に当たり死亡した。妻は夫の冷たくなった死体を目にして激しく涙を流した。同時に、試験を受けている娘の父親を愛する姿を思い出した。そして、涙をふきながら事故の現場を離れ、冷静な様子で娘を迎えに試験会場に行った。その後、試験期間中は娘に事実を知られないように、母親は友達と共真実を知られないように娘に嘘をついた。
 
    これらの真実はフィクションの悲劇より残酷なものである。このような大学入試にまつわる話は全て事実である。さらに知りたいのであれば、このような話はたくさんある。その話の中に「最も残酷」「こっちの方が残酷」などはない。国家が主導する大学入試という戦争の中で、日常生活の細かい部分や人間性が簡単に消されることがあまりにも多い。さらに強い兵士を戦場に送るために、親は生活を慎重なものにする。夜に一つの音も出してはならない。〜、その大舞台を駆け抜けるために、大きな使命感にかられる。大学入試という国家が定める儀式を通じて、成人にならなければならない。たとえ、両親兄弟が目の前で血を流して死にそうになっていてもである。
 
   母親が血を流す中試験会場に向かった娘、この選択を促した現場の人、彼らの行動は、中国社会の制度の一部に入っている。大学入試制度は国民一人一人の心の中に染み付いてると言えるだろう。しかし、誰もが大学入試が完全なものではないと知っている。長期にわたってきたこの不完全な制度を変えれば、国民の人格さえも変えることができる。違うだろうか。血を流していた母親は基本的な人間性を犠牲にして、大学入試制度に含まれるいわゆる“大きな意義”を得たのではないだろうか。 
 
    大学入試に関する本の中で、雀衛平は、現在の大学入試制度が一番合理的だという人に対してこう述べる。「中国人は最も頭の良い民族だと言われてます。しかし、若者達は、このような恐怖や絶望、残酷さに満ち、また同時に興奮的で迎合的な環境の中で生きていかなければならないのか。他に方法はないのだろうか」。いま、母親が血を流しているのに試験会場に向かう普通の受験生を目の前にして、「大学入試は、多くの人間性や倫理、感情までも消滅させるものだ」と思わない人がいるだろうか。

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中国での大学入試の重要性がわかっただろうか。

「受験は戦場」「受験生は兵士」「受験を終えて成人となる」「受験は人の命より大事」

などの言葉からわかるように、僕たち日本人には想像のつかないほどのものである。
しかし、このことについて数人の友人と話したが、決して誇張しているものでない。

「大学入試のために物心ついたころからずっと勉強させられてる人もいる」
「入試は成人式。中国人の義務であり、人生で一番大事なもの」
とまで言っているくらい。

もっとすごいのが、このような事件が毎年起こっていること。(なんで毎年事故っちゃうんだろう,,というのも疑問だけど、多分でかいから)


このブログに対するコメント、大部分は「そりゃ試験を選ぶ」という意見。


自分にはどう考えてもとても理解できませんでした。
自分が置かれている環境が違う、大学入試の重要性を知らないからです。

その中で、一つすごく印象に残るコメントがありました。

“进去,对不起母亲;不进去,也是对不起母亲。”

→「試験に行けば母親に申し訳ない。試験に行かなくても母親に申し訳ない。」

要するに、母親は子供の試験勉強ために長い間色んなものを注いできた。だから、受けないとその注いできたものが無駄になる。それは命よりも大きなものだ。ということです。

「大学入試は10年ほどの努力の結晶を注ぎ込む場」
それが常識みたいです。


これを読んで、「こんな競争を乗り越えてきた同じ年代のやつらはすげぇ」と思いました。浙江大学に通う学生とルームシェアしてて、そんな競争を乗り越えて来たようには見えない(ふわふわしてるから)けど、本当はすげぇ。って思いました。

自分が今まで歩んで来た人生の中のプレッシャーなんてほんとちっぽけなものだと思う。


一方で思ったのが、「これが社会の常識になってるのは悲しいな」ということ。
ものすごく悲しいことだと思いませんか?
家族が倒れているのに、大学入試を取らなければいけないなんて。


コメントを見ていて、もっと驚いたのが、「この制度を改善しなきゃならない」っていう意見がほぼなしだったこと。

「制度に問題があるなら、改善が必要」

こう思ってたけど、違うみたいです。

「このやり方が一番合理的で公平」って思っている人がほとんどって友達は言っていました。
その理由は、
・同じ時間に同じ回数で受けるから、お金もち貧乏など関係ない。努力次第。
・こういうやり方でエリートが輩出される
・1回以上やると採点に時間がかかる(人が多い)
などなど色々あるそうです。


でも、実際は公平じゃない。

大学ごとに、「どの省から何人合格させる」っていう固定の数字が決まってる。例えば実際の例だと、北京大学は「浙江省で文系30人を取る」って決めてます。それも毎年固定。

このシステムは大学がある省の受験生が有利なようになっている。
“生まれる省が重要”

例えば、最近ランキングトップになった僕の通ってる浙江大学では、浙江省に住む学生を大体半分入学させる。だから、浙江省の受験生にとっては比較的簡単らしい。だから省内でトップ600位に入れば入学できる。


どうしても北京大学に行きたくて、有利な条件を得るために北京に戸籍を移す人もいるそう。でも実際には、お金持ちの人しかいけないらしく、またここで不公平が生まれてい
る。

でも、これって日本でも同じことが言える。
お金持ちの人が教育費に金かけて、子供に良い大学行かせる。東大生の親の平均収入は一般より断然高いっていうデータもある。

どういう家庭で生まれるかって重要なのかもしれない。

もっと言えば、どの国で生まれるかって重要なのかもしれない。

中国人の友達に言われたのが、
「もし日本の教育受けられてたら、勉強以外にもっと充実した生活を送られていた。仕事も中国より良い仕事をとることができたと思う」って言葉。

重く突き刺さりました。
中国人より勉強の面で努力をしていない日本人が、より良い生活をする。将来はわかんないけど現状ではこれが事実。
こういう考えってたんたんと大学生活過ごしていたら、気づきにくいことだと思う。特に、海外に興味のない学生にとっては。
もっと言えば、「教育インフラが整備していない国で自分が生まれていたら,,,」とか考えたことある人どれくらいいるだろう。俺だってない。

この世界に公平なものなんてない。

きっと、自分の環境と違うものを目の当たりにすることによって、自分の人生の価値が変わってくるんだと思う。だから、違う世界を見なきゃいけない。今後どれくらい頑張れるか、どれほど自分の生活に幸せを感じられるか、そういうのが変わってくると思う。


先ほどの中国の入試制度に戻すと、
「不公平であり問題は確かに存在するけど、一番合理的で中国にあった制度なのかもしれない」っていうのが、最終的な感想。
きっとこの制度は変わることがないと思う。
なぜなら、国の制度を作ってる人は競争社会を生き抜いてきた人だから。
それに、中国人の勉強に対する意識(勉強が人生を変える)がとても強いから。


そんな制度の中でも、“勉強以外”の部分に人生の価値を感じる人が増えてほしい。だって大人になって勉強だけが全てじゃないから。知識とか学歴とか仕事とか大事だけど、もっと大事なのは周りの人。家族とか友達とか恋人とか色んな人と生きてるから幸せ。

俺はそう思います。


追記。
ブログ変えました。今までに書いたすこーーしのブログもこっちで写真付きにしたので、是非見てください!
これからさらに更新していきます。

(黄山で撮った日の出)















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