このエントリーをはてなブックマークに追加

2012年6月13日水曜日

自分×中国 第一弾。〜アイセック編〜

今日、1日目のテストを終えました。
早いもので、あと3回のテストで中国での学校生活を終えます。




今日から「自分と中国」というタイトルで、この2年半、自分がどう中国と関わってきたのか整理したい。


一度に書くとものすごく長くなってしまうので、3回にわけます。
なぜ3回かと言うと、大きくわけて「アイセック」「ビジネス」「留学」の3方面で関わってきたからです。


今日は第一弾として、アイセックでどう中国と関わってきたか綴ります。








アイセック
110の国と地域で活動する、世界最大の学生NPO団体。海外インターンシップの運営をしていて、最近メディアにもよく取り上げられてます。


大学生の方は、「あ、友達やってるよー」
社会人の方も、「あ、聞いたことある」って方が多いかもしれません。
初めて聞く方は、HPをチェック!


大学に入ってサークル選びに迷っていた頃、この団体の説明会に行って即入ることを決断した。
「国際系」とか「社会人と関わりある」とか「海外行く経験つめそう」とか色々印象を持っていたけど、最終的には「人」で選びました。




大学入った頃って、友達の中に「貧困地域でボランティアしたことある」人って全くいなかったと思う。だけど、アイセックの先輩の人はガーナに行ったとかインドに行ったとかで、しかも「現地の人々に大きなインパクト」を与えてたみたいで、


「いや、かっけぇな。広い世界見てるなーこの人達は」って思いました。
(海外インターンは実際にはみんながみんな行ったわけじゃなかったって入会後知りました。)


そんな面白そうな人達と活動することを楽しみに入り、同期のやつらもなんか生意気そうな人も多かった。多分そう言うと同期のやつは、「いや、ゆーごーが一番生意気だろ。頭アフロだし」って言うと思うけど。


(入学式。どんなシチュエーションですか、これ。)




活動してた30~40人ぐらいいて、当時は4つのチームにわかれてました。


「環境・開発」 「社会起業」 「新興国」 「中国」


それぞれのテーマを元に、それに関係した研修を運営する。


その頃の俺は、駒崎さんに大きな影響を受けていて「社会起業かっけぇなー」て思って色んな社会起業に関する本を読んでいたころでした。
そんな中、「中国」チームを選んだのは、やっぱ人と雰囲気でした。社会起業の方入りたいなーって思ってたけど先輩が面白くなく、一方で「中国」チームの方の先輩はなんとなく面白い雰囲気を持ってました。


(チャイナチームの先輩方。左から、中国人留学生の周 平 ジョウピンさん、少女時代踊れるゆーいちさん、ガンダム大好きチョンミンさん)


それと、週4回ある「中国語」を取っていたから、なんか中国と関係あることしたいと思ってました。




でも、その頃は全く「ここまで中国と関わる」なんて思ってませんでした!


それが、アイセックを通じてどんどん中国を知るようになって興味がわいてって、今にまで至るんです。


なにがそうさせたんだろう。


アイセックで実際にやっていたこととしては、「企業へのインターンシッププログラムの紹介」(「外国人をインターン生として受け入れませんか」)と、「日本人学生を中国へ送るためのサポート」(インターン生とのコンサル、現地アイセックとのやり取り、インターン先の選定等)でした。


でも、実際に営業に行ったりするのは楽しかったけど、なかなか“動き出す”までが難しくて、そこまで活動をしてませんでした。
それよりも、大学1年生の春は遊び授業(戦日、コーカス)が楽しすぎて、アイセックとは最低限の関わりしかしませんでした。




そこで大きなきっかけになったのが、「上海スタディーツアー」です。


内容は、上海の日系企業(もしくは日本企業を相手にしている中国企業)にアイセックのプログラムを紹介していく、いわゆる短期間での「弾丸営業」です。その中で、夜は観光をしたり、上海のアイセックの人(大学生)と交流することでした。




中国語もゼロって言っていいほどできない大学生が何ができるんだ!って思うかもしれない。だけど、アイセッカーはそんなやわじゃないです。
行き先の地図(もしくは住所だけ)持ってタクシーに乗り込み、指を指し「去!去!!」って言うだけ。タクシーのおっちゃんになんか言われて「降りろって意味か!」って理解して、降ろされたところから歩いてまた場所を探す。


どうやって道を渡っていいかわからず、とりあえず渡る人を待って、その人後ろについて渡ったり。
(めちゃ焦ってる他のメンバー)


もう、目的地に行くまでに一苦労。。
中国語ができるようになって、道の渡り方も理解した今思うと、「あの頃はよくやったな」と。。笑 




そんな昼とは逆で、夜は真面目モードから一転して、「修学旅行」のような感じでメンバーと遊ぶ。違う環境にいたからかわからないけど、本当に楽しくて色々あったりで、本当に刺激的でした。


(船から。横浜とは比べ物にならない。けど、横浜の方が好き)


そう刺激的。多分この刺激的なところが、俺を中国にハマらせた理由だと思う。




上海の夜景(あの太ったタワーとか森ビルとか)を見て、「あ、日本はこんな国と競争していくんだなー」としみじみ思ったり、
日本語1年しか学んでないのにめちゃ話せる同じ歳の人がいて「あー中国にはこんな日本語話せる人いるのに、日本には中国語話せる人いないんだろ」って思ったり、
地下鉄の中では普通に電話してる人とか大声で話してる人がいる慣れない光景も見て、「あーなんかうるさいけどにぎやかだな。誰も周り気にしないし自由だな」とか思ったり。
あ、あと万博も行きました。なぜか北朝鮮館と、 フィンランド?しか行かなかった。人多くて,,


それと、現地で活躍する日本人の方からも非常に大きな刺激を受けました。
「中国ビジネスの面白さや厳しさ」など実際の経験を元に語っていただきました。海外で働く日本人と話したことなんかない僕たちは、もう目キラキラさせて聞いていたと思います。


そんなこんなで中国への興味が一気に深まった「上海スタツア」でした。




そして、大学1年生が終わる頃の春休み、今度は「大連スタツア」を開催することになった
スタツアへの思いが強かった僕が、責任者を務めることに。


目的は大きく2点、
・上海スタツアと同じように日系企業への営業活動
・日本でインターンしてもらうための中国学生へのプロモーション


そして、このスタツアをやるにあたって絶対に譲りたくない部分がありました。


「もちろん成果は大事、だけど最優先は中国のアイセッカーと仲良くなる」


これをモットーに彼らと食事する機会を増やし、観光やパーティーなども企画しました。


(大連理工大学にて。現地アイセッカーと)


3.11の時はちょうど大連の開発区に一人でいました。最初に地震のことを聞いたのは、タクシーの運転手から。必死に伝えてきた。言葉はほぼ通じなかったけど、あの時の運ちゃんの焦っていた様子は覚えてる。


その翌日、farewell partyがあって、そこで何度も心配してくれる声を聞きました。
特に印象的だったのが、「四川大地震の時に日本が助けくれたから、今度は中国が助ける番だよ」という声。意外と、日本が支援してたことは知られてると思った。


大連のアイセックはがムービーを用意してくれていて、そこではいくつもの感謝の言葉がのせられていた。
そのとき、泣いて感動するメンバーが中国側にも日本側にもいたのを見て、酔っぱらいながら「本当に苦労してやって良かったな」っていう思いがこみ上げてきました。


(日本のエースと中国のエースの感動の抱擁)


ここまで近づけると思ってなかった。
若いときにこうやって、違う国の若者と交流する。これって、絶対それからの人生得してると思う。若いうちに外国人(特に中国人)に対するバリア解けなかったら、その後解くのは難しいかもしれない。


素晴らしい友達を得ました!!!(その半年後の留学中にも彼らと再会)




最後に紹介するのが、アイセックで日本に研修に来ていた中国人学生との交流。


(餃子、そうめん、チャプチェパーティーのとき)


彼らは中国から日本企業にインターン生として入り、研修をしてました。夏休みだけの2ヶ月の人もいたし、半年間研修してた人もいました。
中には、日中韓英の4カ国後を操る子とか、帰国後中国の外交官(これ倍率相当ヤバいみたい)になっちゃう人とか。


普段絡むことのできない中国の優秀な大学生と絡む機会がありました。
本当みんな良いやつで、一緒にいて楽しいやつばかり。みんなが想像する中国人のガリ勉さがあまりない人たちでした。


(大晦日、横浜でスケート。この後、カウントダウンイベント、初カラオケ、初詣にいく)


既に国内に200万人以上いると言われる中国人が、これからさらに増えてくる。
この10年を見ればわかると思うけど、最近牛丼屋さんとかコンビニとかの店員の名札には中国人の名前が増えてきた。彼らの多くが、大学の留学生(有名大学の留学生はほんと一部)、語学学校に通いながら生活費と学費を賄っている人、出稼ぎにきている人。


この出稼ぎに来る人が今後さらに増えるって言われてる。こういう人達は、日本人がよく言う“問題ある中国人”に比較的なりやすい。理由は様々。
こういう人達を今後どうしていくかっていうのは、日本の大きな課題だと思う。


だけど、もっと直近にある問題が、「優秀な中国人にどうやってきてもらうか」という問題。


優秀な中国人は中国にはいくらでもいる。ハングリー精神とか努力で言ったら日本人学生は遥かに超えてるかもしれない。そういう層の昔の中国人は必ず日本を見ていた。政治家
も経営層の人達も多くの人が日本に留学に来ていた。
それが、今ではみんなアメリカやイギリスに向いている。日系企業への就職も人気が落ち、欧米志向が強まっている。


ここまで日本の文化が受け入れられ、人気を博しているのに、どうして「日本で生活する」という選択をする優秀な中国人が減っているのか。


これは今後の日本の課題。特に若者が背負っていかないといけない課題。


中国人に限らず、外国人にとっても魅力ある国、文化、さらには生活できる場所でありたい。




話をアイセックに戻すと、
アイセックは中国を面白いと思わせてくれたきっかけ作りをしてくれた。
アイセックを通じて、友達もできたし、中国で活動する機会も得たし、興味も深まった。


自分は恵まれていたと思う。縁を大切にしていただけ。
アイセックに限らず、「中国と交流するきっかけ」って周りにたくさんあると思う。


まずは、みんなにそのきっかけ( 縁)を大事にしてほしい。と共に、自分も大事にしていきたいです。






(大連スタツアで、大連のメンバーと共に。大連、日本共によく引用される写真。べろんべろんでした)





0 件のコメント:

コメントを投稿