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2012年6月22日金曜日

自分×中国 第二弾。〜ビジネス編〜「3週間上海出張。0を1に」



上海に遊びに来ている彼女に会いに行くためしばらく上海にいました。


数えてみれば、上海に来たのは約10回目。日数にすると、全部合わせて2ヶ月近く。
上海に留学したことない、または育ったことない日本人学生の中では、誰よりも上海を知っている自信がある。笑


今日は、上海と自分を引き合わせてくれたインターンについて書きます。




大学1年生の夏休み終わり頃から、僕はフォーカスジャパンという会社でインターンを始めた。もうそろそろ2年が経つ。


「本物の伝統工芸品を世界へ」をミッションにしている会社です。
https://www.facebook.com/FocusJapan




もともと「起業したい!」とか「日本の良いものを世界に出したい」という思いを持っていた僕は、このインターンを募集を見て即決しました。


インターンといっても、会社が設立した当初から関わってる。初期メンバーみたいなもので、会社の理念とか社長の思いとかは一番近くで見てきたし、一緒に考えてきた。
社長の隣でつらい状況も見てきたし、事業の成長も見てきた。


この事業を簡単に説明すると、「本物の工芸品を見つけて、消費者に販売する」こと。その中で僕は、販売する方を担当している。


方法としては。最初はアリババを通じて、ネット上で商品を販売していた。
僕はその中で、商品説明や写真をアップしたり、アリババ内でのSEOなどを担当していた。






でも、思うように上手くはいかなかった。反応はあるものも、なかなか購入までは結びつかない。
懸念してたように「工芸品の良さ」はネット上で伝えるのは本当に難しすぎた。


いくらキレイな写真を載せていても、「きれい」「日本らしい美しさだ」とは思うかもしれない。でも、「買う!」っていうアクションまではつながらない。特に、工芸品のような値段が高くて、質の良い商品においては。


それと、アリババという環境にも原因はある。
アリババは、もともとは中国の「廉価で質にこだわらないものを大量販売」するためのプラットフォーム。だから、伝統工芸品のように「高くて良いもの」を求めるバイヤーが極めて少ない。




「アリババじゃダメだ」


そう気づけたのが、大きな成果だった。




そこで、次に考えたのが、行商という伝統的な売り方。


本物のモノを直接売る」


“直接価値を伝えたい”という考えを究極に追求した形。


見てもらい、触ってもらい、良さを伝えることで価値をわかってもらえる。
それに、実際に話をすることでニーズを引き出したり、直接感想を聞くことができる。


一見すごく手間がかかりそう。だけど、一番手っ取り早くて、この商品には合ってる方法なのかもしれない。


しかし、市場は日本ではない。




そこで、社長からのいきなりの一言。


「上海にサンプル持っていって、1ヶ月営業してきてくれないかな?」


正直言ってることのわけがわからず、考えこんでしまいました。笑


で、結局たどり着いたのが、「なんで俺?」っていう疑問。
「期待?直感?それともなんだろう?」とか色々考えたけど、一方で思ったのは、


「こりゃとんでもないチャンスだ」




1ヶ月間営業。しかも海外で。


こんな経験、普通の学生はできない。ましてや、インターンしてる学生の中でもこんなチャンス与えてもらえる人なんて滅多にいないはず。


その時、考えれば障壁はたくさんあったと思う。中国語話せない、売るシステムが全くない、実績もない、自分は学生,,,考えればもっともっと出てくると思う。


でも、当時はそことなんて全く気になりませんでした。




「やるかやらないか」 それだけ。


僕のことをよく知ってる人はわかると思う。こういう時、「やる」っていう方向にどっちにしろ流れていくのがゆーごーの性格。自分でもわかってた。
それと「行かなかったら絶対に後悔する」っていうのもわかってた。


結局、学校のスケジュールも考慮して、4月から3週間上海に行くことになりました。


 (有田焼、パネル行灯を持つ出発前)


アイセックのスタツアでの経験を活かして、自分でスケジューリング、アポイントメント、アコモデーションの確保,,,全てやりました。


アコモに関しては、経費削減のため、友達づてで上海の友達を紹介してもらい、ホームステイさせてもらうことになりました。今でも本当に感謝してます。


出発前に準備をしていた時期はちょうど東北大地震の後で、日本が未だに大きな閉塞感が漂う時期だった。
そのとき、周りの友達、親はボランティアに行っていた。
学校も4月を「被災地への社会貢献活動の時期」とし、新学年が始まるのが5月のゴールデンウィーク後になりました。


そのとき強く思ったのが、


「自分は被災地には行けない。だけど、被災した地域の工芸産業を将来的に助けることができるかもしれない。そのための一歩がこの上海出張なんだ」


責任感、プレッシャーもますます感じるようになってきた。




出発直前、早速壁に当たった。


「どうやって見せるか?」


こんな大事なことを直前まで考えてなかった。


ぷちぷちで包んであるお皿を見せられたら高級感出ないし、出し入れにも不便。
売り物をスピーディにぱっと見せられる「簡易売り場」みたいなのが欲しかった。

そしたら、親父が商品を入れる箱を作ってくれました!

「耐久性(割れない)」「高級感」「利便性」を重視して、安くその通りやってくれました。スチロールを皿の形に合うように溶かして、黒い布を貼っています。箱の外には和紙を貼りました。


商品も手作り、箱も手作り、この「手作りへのこだわり」が自分を応援してくれてたんだと思う。
ここで、包装にこだわるかこだわらないかで、相手に見せる本気度が違ってくる。
ちなみに営業するときにも箱が手作りっていうのは、良いアピールになりました。




そして、出発。


上海では、アイセックで以前出会った中国人の友達に迎えに来てもらい、その子の友達の家で泊まりました。


翌日からは、書類、PC、サンプルを持ってこんな格好で上海のアポ先を回った。これがまた意外と重い。




アポがないときも、アポなしで日本料理屋、家具屋、雑貨屋にどんどん入ってった。


なにも中国のことを知らないまさに手探り状態だったから。


そこで、重視したのは「とにかく人に会うこと」。


「動いていればどうにか前に進める」


そう信じてました。というより、そうするしかなかった。


ある時は、マグロテレビチャンピオンになったことある料理人に会った時、最初全然話聞いてもらえなくて、タクシー乗ってどっか行くって言うから、「僕もそっちの方なんで乗ってもいいですか?」って嘘ついて乗り込んで、話してもらえるようになり良い情報得たり。

高級家具屋で客のフリして入って英語で商品についてたくさん質問しといて、さりげなく自分の商品アピールしたら興味持ってもらって、購買部のマネージャールームに連れてかれたり。



そして、営業にも慣れてきて、どんどん人脈の輪が広がっていくのが感じられました。


驚いたのが、他人の紹介してくれる方が多いこと。


「日本の伝統工芸文化継承のために」という意義のあることをやっているのは伝わるようで、多くの日本人の方に応援していただきました。




と同時に、批判、厳しいお言葉をたくさんいただきました。




「同じようなものが1/10の値段で売っている」

「中国で売ってもすぐにパクられる」

「気持ちだけじゃ中国ビジネスはやっていけないよ」,,,,


などなど、思い出そうと思えばまだまだたくさん。




最初は慣れなくて、「本当にこんな厳しい市場でやっていけるのか」考え込んでしまうこともあった。来て、後悔もすることになった。
「本当に売れるのか」というプレッシャー、不安もたくさん感じた。


でも、どんなことを言われても道は一つ。


「動き続けるしかない」


そのような厳しい言葉を受け止め、ポジティブな言葉で返せるように自然になった。
出発時の自信も取り戻し、「売ってやろう」という気持ちはより強いものになった。


おそらく、あの頃に一皮むけたんだと思う。




重い荷物持って場所歩いて探したり、タクシー乗ったり、地下鉄乗ったりで、「営業マン」って辛いんだなって何度も思った。


そんな中、楽しく続けて来れたのは、夜に有意義な時間があったからだと思う。
合計で10回近く上海で活躍する社会人と食事をして、学生の友達とも食事をした。貴重な話をたくさん聞いて、中国に対する興味もまた一層わいた。自然と「あー俺将来中国で働くのかな」っていう考えも生まれた。
(学生に見えなくて良かった)


ずっと一人でいたら頭おかしくなってたと思う。
でも、そうやってたくさんの人と有意義な話できたから、「頑張ろう」とも思ったし、「負けたくない」とも思った。


(日中学生交流団体freebirdが開催するチャリティーイベントにも参加しました)

ちなみに、このときにある社会人の方に連れて行ってもらったバーで、彼女(当時、バーテン)と出会いました。


ビジネス以外でも大きな収穫があった。笑




結果としては、


初めて商品が売れました。


その時は、本当に本当に嬉しくて、この達成感は自分にしかわからないものだと思う。


一つの会社の一つの事業を「0から1」にできた。


これは、出発前に社長が繰り返し僕に言っていた。


「1を10にするのは難しいけどできる」でも、「0を1にするのは本当に難しいし、やったこと人は世の中で少ない」
確かにと思った。トヨタとかソニーとかどんな有名な企業も中小企業も起業した時は、0を1にした。0を1にした人がいなかったら、いま企業は存在しない。


売れただけでなく、商品を置かしていただく場所を見つけたり、一緒にやっていくパートナーも。フォーカスジャパンの商品を多く扱っていただく高級日本料理屋も見つけました。


僕がこの3週間の努力で作ったつながりを社長に引き継ぎました。


社長は、「この大事な芽を育てていくのは、俺の仕事だ」と言って、その後1ヶ月に一度程上海に出張して、ビジネスを着実に広げています。


上海で売れたことがきっかけになって、商品開拓の面でも、2種しかなかった工芸品(有田焼、行灯)が、9種類に増え、「本物の商品」にバリエーションが増えました。
やはり、少しでも実績があることで会社のブランドは大きく変わるのだと実感しました。




売れるまでは全く進まなかったビジネスも、売れてからは急速に伸びたと思います。




留学で杭州に来てからは、上海での展示会を2回手伝いました。






何千人もの中国人に、伝統工芸品を紹介しました。→そのときのエントリーはこちら
中国語も基本的には話せるようになってたので、消費者と直接対話ができるようになった。すごく気づくことがたくさんあって、本当に意義のあった展示会だった。


それと先日行われたのがこちら。


またこのイベントに関するエントリーを書く予定ですが、一言でまとめると「九州の工芸家と中国の美術家の文化交流会」です。4月に中国人の美術家達が九州に訪れて展覧会と工芸家との交流を行いました。そのお返しにと、次は日本の工芸家に中国に来てほしいということで、このようなイベントが生まれました。

様々な方からの支援を受けて、上海の総領事も参加する会になりました。

このような文化交流、本当に意義のあるものだと思いました。遣唐使の頃から両国は、文化交流を続けてきて、お互い良いもの通じて付き合ってきた。お互い学ぶところは学び、ダメだと思うところは正す。そうやって、お互いの文化が洗練されてきた。

歴史的に続いてきたことを、現代でも続ける。

両国の関係が悪くなっても、これは忘れてはいけない大事なことだんだと思う。


ビジネスの方に話を戻すと、まだまだこれからです。
走り始めたばかりで、これから加速していかなきゃいけない。
本当に難しいことをやっていると思う。だけど、これを乗り越える力はあるって信じてる。
日本の伝統工芸、良いものを継承していけるよう手助けしていきたい。

それと、こんな素晴らしいチャンスをくれた木原社長には本当に感謝してます。
人生で大切なものをたくさん教えてもらいました。(社会一般で考えたら、同意されないような考えばかりですが,,笑)


最後に、この経験から得た大事なことを3つ。

・年齢なんて関係ない

・やろうと思えばできる

・行動力が大事


この考えが頭にしみ込んでいたから、結果が出たのだと思う。
壁に当たったとき、この3つのシンプルな考えが頭に浮かんだから、ポジティブな気持ちを持てて、その態度が相手に伝わるようになったから、結果が出たのだと思う。

これからも忘れずに生きていきたい。




1 件のコメント:

  1. 社会一般で同意されない思想の社長です(笑)
    まるで過激派みたいじゃないか(汗)決して反社会的思想の持ち主ではありません(笑)

    ブログを読んで大変懐かしく感じました。
    確かにあの時「なんで俺なんですか?自分で行かないんですか?」って言われたの覚えてるよ。他の人たちにも「社長が行くべき」と散々怒られました(笑)

    「0を1にする」突破力は鈴木くんの方が持ってると思ったことと、この体験が強烈で面白ければ鈴木くんはフォーカス・ジャパンの事業にもっと主体的に興味を持ってくれると思っていました。

    今までもこれからも私1人で事業を行うのではなく、関係者全員で築き上げていくという姿勢が大事だと思っています。

    結果大成功でしたね。
    本当にありがとうございます。
    中国では最初に井戸を掘った人間のことを忘れない的ことわざがあります。最初にリスクをとってやることは誰もができることではありません。

    そこに年齢は関係ありません。やるかやらないかです。今の中国の根本思想である弁証法的唯物論において「実践」は最重要視されています。主体的に「実践」すれば必ず「発展」「止揚」します。

    実践・行動力という今の日本に欠けているものを持っていることに自信を持って、これからも「行動力ゆーごー」でいてください!

    日本に帰ってきて落ち着いたらゆっくり話しましょう!

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